彼女を無視し、批判し、罵倒し、侮辱する人たちの動機はさまざまだ。人種問題にかかわるもの(モータウンはあくまでも黒人が築いたもので、財政面ではともかく、音楽的には白人の力は借りていないという立場)、年金および「再利用」などにかかわる金銭問題(仕事に応じて、雇用者がユニオンに積立金を払い込み、やがてそれがミュージシャンの年金になる。詳しいことは煩雑なので略すが、だれがどの仕事をしたかがきちんと証明できないケースがある。また、再利用とは、たとえば、映画テレビなどで古い曲が使われることを指し、セッションに参加したミュージシャンにもなにがしかの金銭が支払われる)、自分が間違いを犯したことを認めたがらないという、エゴにかかわること(ケイのプレイをジェマーソンのものと思いこんで、間違いだらけの本を書き、満天下に赤っ恥をさらした音楽評論家には、自殺するか、キャロル・ケイを葬るか、どちらかの選択肢しか残されなかった!)、とにかく、白人が黒人の権利を侵害することが大嫌いという過度の黒人主義などである(といっても、この場合、侵害されているのは白人の権利なのだが……)
*注5。
たんなる音楽ファンであって、レコード会社の社内事情だの、さまざまな利害の対立などにはあまり興味がない当方としては、理解しがたい問題、あまりふれたくない問題がいくつかあり
(音楽界というとあいまいになるが、「芸能界」といえば、なにをいいたいかは想像がつくだろう)、ここから先のもっと深い事情は、知っていることについても書きにくいし、まだ理解できないこともあれば、いまだに情報が得られない部分もある(たとえば、ベリー・ゴーディー・ジュニアの2番目の妻で、ゴーディーとともにモータウンを設立して、会社を切りまわし、そのすぐれた音楽的才能でレコーディング現場の指揮をとっていたともいわれるレイノーマ・ゴーディーが、1963年ごろにベリー・ゴーディーと別れたことが、この問題に関係があるのか否かなど)。
よって、面倒な人間関係は棚上げにして、あとはできるだけ簡単に、だれもが疑問をいだくことについて、わかる範囲で解決をつけ、おしまいにしよう。
ファンク・ブラザーズというすぐれたミュージシャンがデトロイトにいたのに、どうしてモータウンはわざわざLAで録音しなければならなかったのか? キャロル・ケイとしばしばコンビを組んで、モータウンLAセッションのドラマーをつとめたアール・パーマーは、会社が彼らのアル中と麻薬中毒に手を焼いたからではないか、とケイに語ったという。
ジェマーソンとベンジャミンのアルコール中毒については多数の証言がある。セッションが休憩に入ると、二人はアルコール補給にどこかへ消えてしまい、なかなか仕事を再開できなかったり、再開しても、まともにプレイできる状態ではなかったり、ときには泥酔して暴力をふるったことすらあるという。とくにジェマーソンがひどかったようだ。二人が早くに亡くなったのもそのせいだといわれている。二人がなんらかの薬物中毒であったことも、多くの人が証言している。彼らが時間にルーズだったことも同様で、たとえば、スプリームズのメアリー・ウィルソンは「ベニーは遅刻しては『叔父貴が死んだんだ』といってスタジオに入ってきた。彼の叔父さんはもう40回は死んでいた」と書いている(Mary Wilson "Dreamgirl: My Life As a Supreme")。
逆に、1960年代のハリウッド音楽界はきわめてプロフェッショナルな世界だった。麻薬はもちろん、酔っぱらってセッションにあらわれるなどということは許されなかったし、遅刻をくりかえせば、仕事がなくなった。ギタリストのトミー・テデスコは、万やむをえず大きな遅刻をしたときのことを、忘れがたい出来事として回想記に書いているほどだ(Tommy Tedesco "Confession of a Guitar Player")。当時のハリウッドの音楽界はデトロイトよりはるかに規模が大きく(キャロル・ケイによれば、当時、ミュージシャン・ユニオンLA支部に登録していた組合員のうち、恒常的に活動していたのは350人ほどだという)、業界内の競争がはげしかったので、雇用者は勝手気ままなミュージシャンを雇う必要などなかった。プロとしてみずからを律して仕事に取り組むか、さもなくば去れ、だったのである。
以上は、アール・パーマー説を補強、説明しただけである。キャロル・ケイは、経営権をめぐる確執もあったと考えているというが、この問題は複雑すぎて、当方の手にはあまるし、また、信頼できる客観的な情報もないので省略する。
しかし、個人的には、まだほかにも理由があったのではないかと考えている。ひとつは、パーマー説とも無関係ではないが、デトロイトのスタッフだけではリリース・スケデュールがこなせなくなったのではないかということだ。
もうひとつある。ちょうど1963年ごろ、ハリウッドはニューヨークにかわって、ポピュラー音楽界の中心地になった。
ハリウッドのサウンドが、アメリカを、そして世界を席捲しはじめたのである。つぎつぎにヒットを生みだしていたハリウッドのミュージシャン、エンジニア、そしてスタジオを使ってレコーディングするために、東部やイギリスからプロデューサーたちがLAに殺到した。こうした流れから見れば、モータウンも時流に乗っただけと解釈することもできる。デトロイトの独立レーベルではなく、もっと高い場所を目指すなら、LA移転はモータウンにとっては当然の選択肢だった。
そして、もう少し音楽的なことをいえば、デトロイトのやや泥臭いサウンドに対して、LAのサウンドは洗練されていた。モータウンはこの洗練がほしかったのではないだろうか。モータウンは黒人の経営する会社であり、アーティストも圧倒的に黒人中心だったが、黒人だけを購買層に想定していたわけではなく、白人の若者を取り込もうとしていた。いや、購買力のある白人の若者こそがターゲットだった。文字通り「ザ・サウンド・オヴ・ヤング・アメリカ」が目標だったのである。それには、LAの洗練されたサウンドが必要だったのではないかと思う。ビーバップを出発点とするキャロル・ケイは、ファンキーなプレイができると同時に、和声に対する洗練された知識をもっていたので、まさに理想の人材だったはずである。
もうひとつ、だれもが思う疑問は、なぜモータウンは、1960年代のLAでの活動を認めないのか、ということだ。これはむずかしい。まだ謎の部分もたくさんある。ひとつだけいえることは、前述のように、モータウンは「黒人の企業」いうイメージを利用してきたということだ。多数の白人が録音に関与したというのは、あまり知られたくないことだろう。白人若年層にも受け入れられる洗練された音をつくりながら、黒人リスナーからも遊離しない(露骨にいえば、「黒人の希望の星」というイメージを裏切らない)というのは、簡単なことではない。離れ業、力業といえる。おそらく、長年のあいだ、この点について、彼らは神経質に気を配ってきたはずである。いまは、それ以上のことを確信をもっていうことはできない。
それから、なぜ、はるか昔のことが、いまになって問題になっているのか、ということも第三者にはわかりにくいだろう。簡単にいうと、スタジオ・プレイヤーというのは、「アート」のためでもなければ、名誉のためでもなく、「生活する」ために音楽をやっていた、ということだ。もちろん、個人差はあるが、スポットライトはほしくない、というのは彼らに共通した考え方である(ただし、のちにスターになったグレン・キャンベルとリオン・ラッセルは例外だが)。あの時点では、彼らはただ日々舞い込む依頼を、制約のなかで最善を尽くしてこなしていただけで、「20世紀のアメリカの文化遺産を創造している」などという意識は毛頭なかったのである(ハル・ブレインは「われわれは歴史をつくっていることを承知していた」と書いているが、それは思い出の美化というものだろう)。
それも不思議はない。われわれリスナーも、日々ラジオから流れてくるただの「新しい音」としか思っていなかった。そして、60年代には、ジャケットにミュージシャン・クレジットが書かれることは稀で、彼らは完璧な黒子に徹していた。かつて、モンキーズがスタジオで演奏していないことが暴露されて大騒ぎになったことがあったが、会社はそういう事態が再発することを嫌い、ミュージシャンたちも、べつにスポットライトはほしくないし、仕事を失うわけにはいかないので、口を閉じて、黙々と影武者や黒子の仕事をつづけたのである。
だが、彼らも年金を受け取る年齢になり(「引退する年齢」といいたいが、驚いたことに、現役をつづけている人が多いのである)、過去を振り返るようになった。アメリカもまた過去を振り返るようになり、映画と音楽という遺産に気づいた(いや、リアリストの視点に立てば、まだまだいくらでも利益を生む「現役の資産」であることに気づいた、というべきだろう)。そして、かつて十代のときに、彼らが生みだした音楽を浴びるように聞いて育ったわれわれの側も、結局、いちばん好きなのはあの時代の音楽なのだと気づいた。
すべての条件がそろい、彼らは過去を語りはじめたのである。それがいくつかのケースで軋轢を生んだのはいたしかたないことだ。モータウンだけはさまざまな条件が重なって、ほかにくらべてかまびすしい論議の対象となってしまったにすぎない。