ちょっとあぶない注釈
*注1
キャロル・ケイはナンシー・シナトラのセッションでは常連だったが、フランク・シナトラとはあまり縁がなく(彼女にとってはあこがれの人だったようだが)、"Somethin' Stupid"など、わずか数曲しかプレイしていない。フランクのセッションの常連ベーシストは、アップライト出身で、フェンダーベースを弾いてもケイより地味で控えめなチャック・バーグホーファーだった。
ザッパの"Freak Out"には、ケイはベーシストとしてではなく、ギタリストとして、トミー・テデスコらとともに参加し、12弦を弾いている。ザッパのジャズ・ミュージシャン好みの結果らしく、彼はテデスコに、「以前、あなたのプレイをクラブで見たことがある」と語ったそうだ。ロック・バンドをほめないケイがめずらしく、ザッパはつねにいいリズム隊をもっていたので、自前のリズム隊とセッションメンの混成部隊でのレコーディングだった、といっている。ザッパの音楽は面白かったし、人柄も好ましかったが、幼い子ども抱える母親としては(臨月にスペクターのセッションでプレイしたことがあり、コーラスの女性にも妊婦がいて、三人の妊婦がそろってしまったことがあるという。エンジニアのラリー・レヴィンは、サウンドのことを心配するより、ピアノの上で出産なんてことになりませんように、とハラハラしていたという)、あの歌詞に困惑せざるをえず、ザッパにそう話して、三枚目以降は参加を断ったそうだ。フランクは理解してくれた、とか。
モンキーズはもちろんスタジオ・プレイヤーを大々的に使っていたし、ケイのディスコグラフィーにも"I'm a Believer"などが入っているが、これがシングル・テイクかどうかは確認できない。彼らの場合、主として、テレビ用のプレスコと、キャロル・キングらがNYで作ったデモなどのせいで、セッション記録が大混乱になっているのはご存知のとおり。今後の研究を待ちたい。
ケイが、ドアーズの"Light My Fire"でベースを弾いたことはあまり知られていない。デビュー盤だから当然だが、彼女はまったく予備知識なしにセッションに参加し、ジム・モリソンは控えめな好青年だというぼんやりした印象だけを持ち帰った。モリソンがとったと伝えられる奇矯な行動(ま、プロモーション活動の一環だろう)には、心底ビックリしたという。
ついでにいうと、ドアーズの全員がプレイしたのは2枚目の"Strange Days"だけで、あとはドラムもギターもすべてスタジオ・プレイヤーの仕事であり、レイ・マンザレックだけがプレイしたと考えている。これは、レッキングクルーMLを主宰する大野一朗氏の指摘による。
スタジオ・プレイヤーの動きを中心にして歴史を見ていくと、アーティスト中心で見ていたのとはまったく次元の異なる絵が浮かび上がってくる。この絵が見えるか見えないかで、モータウン問題に対するそれぞれの立場が決まるだろう。
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*注2
これは私自身もよく知らないことなので、本文に書くことは控えたが、ミュージシャン・ユニオン所属の組合員を使ってレコーディングするには、ライセンスが必要なのだそうだ。ところが、モータウンはLAオフィス開設当初、LAでのライセンスをもっていなかったために、コントラクターのベン・バレットにライセンスを借りてレコーディングした。これはルール違反で、モータウンLAはレコーディングに関するかぎり、もぐり営業をしていたことになる。60年代終わりにこの点を問題にされて、69年の「移転計画の発表」になったのだという。われわれはLA音楽界のビジネス・ルールを守るまっとうな企業です、と表明する必要に迫られたわけだ。
しかし、69年といっているのはネルソン・ジョージで、これはモータウンのオフィシャルが主張する年を、そのまま裏をとらずに書いただけだろう。ケイは67年といっている。だいたい、移転の年すらあいまいだということからして異常であり、これはなにかある、と思わせるに充分だ。ファンク・ブラザーズの存在が長年にわたって秘匿された事実と併せて、このあたりは眉に唾をしてよく考えてみる必要がある。どうして、たかがスタジオ・ミュージシャンの存在を隠し、移転の年度をあいまいにする必要があるのだ?
ライセンス問題については、いまだにきちんと裏をとることができないでいるが、これが事実なら、おそらく、モータウン・ミステリーのキーとなるだろう。1963年以来のLAでのレコーディングを認めてしまうと、不利益になることをつぎつぎと芋づる式に認めなくてはならない事態になるのだと推量している。 本文にもどる
*注3
モータウンはトラックを録音してから、ヴォーカル・オーヴァーダブをし、リリースするまでにしばしば長い時間をかけたとケイは語っている。「マイ・ガイ」は64年春の発売だが、トラッキング・セッションの日付は前年までさかのぼる可能性が高い。
それで思いだしたことがある。"The Motown Story: The First Decade"と題する5枚組のLPセットがある(バラ売りもあったのかもしれないが、手元にあるのはMS 5-726というマトリクスのボックス・セットである)。ヒット曲とインタヴューで綴ったモータウンの音の歴史とでもいうべきものだ。このなかで、ジュニア・ウォーカーが「ホワット・ダズ・イット・テイク」について、「最初にこの曲をやらないかといわれたときは、あまり気乗りがしなかった。だけど、1年もすると、また、歌わないかといわれて、結局、レコーディングすることにした」と語っている。
気乗りがしなかった、というが、譜面を見たのか、デモを聞いたのか、それとも、ライターが歌ってみせたのか? わたしの推測はそのいずれでもない。すでに完成したトラックがあり、それを聞いたのだ。ジュニア・ウォーカーがサックス・プレイヤーだという先入観にだまされていたが、この曲のみごとなサックスは別人、おそらくはLAのプレイヤーの仕事だと考える。そもそも、サックスをとったら、ほとんどなにも残らない曲といってもいいほどで、わたしがライターなら、デモにもサックスを入れる。いや、モータウンはLAのミュージシャンに向かって、これはデモだといって本番のテイクを録っていたではないか。だとしたら、デモと本番を区別する必要はない。デモすなわち本番のトラックである。だから、ジュニア・ウォーカーは完成品のトラックを聞いたのだと考える。そして、この場合は、トラックの録音からリリースまでに1年ほどかかったのだと推測する。 本文にもどる
*注4
モータウンのCDボックス"Hitsville USA - The Motown Singles Collection 1959-1971"に付属のブックレットによる。しかし、この部分の筆者は、例のジェマーソン本を書いたアラン・スラトスキーなので「取扱注意」である。もうひとついえば、このブックレットは、巻頭にスモーキー・ロビンソン作の「モータウン社歌」を麗々しくかかげた、いわば公式の「モータウン社史」だということにも注意されたい。社歌などというものがアメリカの企業にもあることをはじめて知った! 本文にもどる
*注5
ケイ夫妻の友人だった有名な黒人セッション・ベーシストは、人種問題に極度に敏感で、トラブルばかり起こしたために、NYで名を成しながら、LAでキャリアを棒に振った。それもあるのか、彼には無関係に思われるモータウン問題に関しても、ケイを批判する側にまわっている。例によって、白人が黒人の利益を侵害しようとしていると受け取っているふしがあるが、いっぽうで、NYで彼としばしばコンビを組んだバーナード・パーディーは、マックス・ウェインバーグのインタビュー("The Big Beat: Conversations with Rock's Great Drummers")のなかで、NYでもモータウンのトラックを録音したと証言しているので、金銭が動機なのかもしれない。 本文にもどる
*注6
歯切れがよすぎるぐらいの啖呵を切った人もいる。プロデューサー、アレンジャー、コンポーザー、ギタリストとして、1950年代からハリウッド音楽界の大黒柱のひとりとして活躍し、現在もナッシュヴィルに居を移して活動を続けているビリー・ストレンジだ。彼は最近になって、キャロル・ケイがモータウンでプレイした事実はない、などという、破廉恥な世迷い言をいうゴロツキたちが存在することを知り、キャロル・ケイのかつてのボスとして、怒りの一文を彼女のBBSに投稿した。以下に引用する。
親愛なるCK、LAのあらゆるミュージシャンが、音楽業界できみほど誠実で正直な人間はほかにいないことを知っている。まったく、きみはさまざまなことについて、つねに正直に意見をいってきたものだ。わたしは、きみがかつてのLAの音楽界について、まちがいない事実であると知っていることを支持し、それをありのままに語るのを、きみの名誉と勇気のしるしだと考えている。
長年のあいだ、とりわけ、あの時代にきみといっしょに働いたわれわれ仲間たちは、きみがモータウンLAの無数の録音に参加したことを証明することができる。きみにくらべれば微々たるものだが、私自身もゴーディー/モータウン・グループのレコーディングに参加したので、きみがとほうもない数のLAで録音されたモータウン作品に参加していることをよく知っている。私自身が、きみとともにモータウンLAのあらゆるセッションに参加していれば、モータウンの全盛期にきみがレコーディングに参加したすべてのアーティストのすべての曲を、1曲1曲タイトルを示してここに並べられただろうに、と思うと残念でならない。(以下略)
わたしが世界でいちばん好きなベース・プレイヤーに
きみのボス、ビリー・ストレンジより
わたしは個人的に、ビリー・ストレンジ氏のことを「LA音楽界のジョン・ウェイン」と呼んでいる。この一文を読んだ瞬間、「まるで、『正義のガンマン、ついに立ち上がる』ですね」というEメイルを送ったら、「それこそ、わたしの考えていたことだ。だれかが勇気をもって、不正をたださなければいけない」と、フランク・キャプラ映画の登場人物のセリフのような返事をちょうだいした。いや、まったく、たいした人だ。俳優として「ローハイド」に出演したのもだてではない。そういえば、もうひとりのギターをもったガンマン、小林旭扮する滝伸二も不正と戦いつづけたものだ!
もうひとり、アレンジャー、コンポーザーとして知られるペリー・ボトキン・ジュニアの愉快なコメントも追加しておこう。
モータウンがデトロイトの会社とは知らなかった。てっきりLAの会社だと思っていた。
いや、まったく、これほど過激なコメントはめずらしい!
もうひとつオマケに、小さな小さな証言をつけ加えておく。モータウンを支えたライターチーム、ホランド=ドジャー=ホランドがモータウンを辞めてつくったホットワックスというレーベルがある。そのレーベルのヒット曲を集めたオムニバス盤 "H-D-H Presents the Hits of Hot Wax & Invictus Records" (HDH CD 501)のライナーに面白い記述を見つけた。ホットワックスを代表するアーティストであるハニー・コーンのリード・シンガー、エドナ・ライト(ダーリーン・ラヴの妹)の経歴について、以下のように書いているのである。
(60年代なかごろ)以後はジョニー・リヴァーズ、ブレンダ・ハロウェイ、タミー・テレル、ライチャウス・ブラザーズなどのセッション・シンガーをしたのち、レイ・チャールズのレイレッツに入った。
LAベースのアーティストと、ブレンダ・ハロウェイ、タミー・テレルというモータウンのアーティストがごちゃごちゃになっているところが笑える。これを見て、LAとデトロイトの二重生活はたいへんだっただろう、などとトボケたことをいうのはデトロイト派の人たちに任せて、不偏不党の人は虚心坦懐にこのさりげない記述を味わっていただきたい。 本文にもどる