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以下に、LAで録音されたモータウンのシングルとアルバムを少々あげておく。MP3のロゴがついている曲はサウンドを聴くことができるので、ロゴをクリックしていただきたい。
モータウンLAのエンジニア、アーミン・スタイナーは、コンプレッションをかけてデトロイトの音に合わせていたため、キャロル・ケイのサウンドも、たとえば、ビーチ・ボーイズのときとは大きく異なる
(某ミュージシャンが「モータウンではコンソールのつまみは固定されていて、動かしてはいけないことになっていた」と驚きをあらわに回想しているが、LA録音との整合性を考えれば、デトロイトの一存で勝手にセッティングを変えるわけにはいかない)。したがって、ケイが認めている曲を中心に選び、こちらの推測は最小限に控えた。しかし、ここにあげた楽曲や盤はあくまでも氷山の一角、ほんのささやかな上澄みにすぎない。みずから聞き分けに挑戦しようという方は、フレージングとピッキングのクセ、そして、シンコペーションのタイミングに着目してほしい。サウンドに関しては、しいていうと、ジェマーソンのほうが太くこもった音で、ときおり割れるのに対し、ケイのほうはよりクリアなサウンドといえるが、それとて微妙な差である。試しに、テンプスの"My Girl"と、フォー・トップスの"Bernadette"をくらべてみれば、いわんとする意味はわかっていただけると思う。
メアリー・ウェルズの1964年のアルバム"My Guy"はきわめて興味深い。時期が早いために、まだデトロイトとLAの音の統一に配慮していなかったらしく、ケイがLA録音だと断言しているタイトル・カット以外にも、はっきりLAの音とわかるトラックが満載なのである。
ケイ自身がこのころはギターだといっているとおり、たしかに彼女の特徴的なベースは聞こえてこないが、
小さいロールを入れ
るプレイをはじめ、耳慣れたアール・パーマーのドラミングはたっぷり聞くことができる。たとえば"My Baby Just Cares for Me""I Only Have Eyes for You""You Do Something to Me""It Had to Be You"などを聞いてみるとよい。"My Baby..."はそのままシナトラのバックで叩くアール・パーマーだし、テナーサックス・ソロはプラズ・ジョンソンだろう。"Sinatra and Swingin' Brass"でのアールのドラミングと比較してみればよい。こうしたトラックがデトロイト録音だというなら、きっとフランク・シナトラもデトロイトで録音したにちがいない!
スプリームズについては、明快にLA録音だとわかるトラックが多すぎて書ききれなくなった。大ヒット曲に関してはデトロイト録音は皆無に近いという感触である。最初の大ヒット"Where Did Our Love Go"からしてLAだろう。長いあいだ芽の出なかったグループが、LAのトラックでやっと成功にたどり着いたのだから、このフォーマットを変えなかったにちがいない。
"Love Is Here and Now You're Gone"は、ケイのフェンダー・ベースとジミー・ボンドのアップライト・ベースがユニゾンで重ねてある。複数のベースを重ねるのはまさしくLAスタイルで、スペクターの曲ではおなじみの手法である。
LAだらけのスプリームズの曲のなかでも、テンプスとの共演盤はデトロイトのほのかな香りすらない。そもそも、これがデトロイト録音だとすると、あの狭いヒッツヴィル・スタジオに、どうやってこれだけのプレイヤーを詰めこんだのだろう? 数回のセッションに分けたなんて強弁する人もいるかもしれないが、どうせずっとLAで録音しているのだから、ハル・ブレインがいうところの「飛行機の格納庫のようにだだっ広い」RCAのスタジオAや、NBCなどのハリウッドの広いスタジオを使えばいいだけのことだ。
じっさい、I'm Gonna Make You Love Meをはじめとするテンプスとの共演盤は、こういった大きなスタジオでのセッションである(通常は主としてTTGスタジオを使った)。ふだんはルイス・シスターズというヴォーカル・グループがダミーとして歌うことが多かったが、このときは、ダイアナ・ロスとテンプスもセッションの場にいて、歌ったという。ベースはいつものようにケイ、トランペットもこれまたいつものようにオリー・ミッチェル、ドラマーは日によってちがい、アール・パーマー、ポール・ハンフリー、そしてジーン・ペローが叩いた("I'm Gonna..."のドラムは前二者のプレイには聞こえない)。
ここまでくると、"Shop Around"の時代とは異なる。吹けば飛ぶような、「会社」とは名ばかりの地方都市の独立レーベルが、地下のスタジオで気ままに作れる音ではない。ダイアナ・ロスの"Ain't No Mountain High Enough"を聞いてみればよい。プロのなかのプロの仕事だ。これなら70年だから、スラトスキーさんも安心してLA録音と認めることができるだろう。ごひいきのジェマーソンの影がどこにもないのは残念だろうけれど、コントラクターに嫌われたらLAでは仕事ができないのである。酔っぱらいの遅刻常習者なんかを呼んで、莫大な費用がかかったセッションを座礁させるようでは、コントラクター自身が仕事を失う。
もうひとつ、スプリームズの2枚組ベストCDを聞いていて気づいたことがある。ケイの話では、ハル・ブレインが叩いたのは、"The Happening"をのぞけば、初期に1、2曲とのことだったが、もう少しあるという気がしてきた。60年代中期はハルに聞こえるのはアルバム・トラックやアウト・テイクが多いが、ダイアナ・ロスが抜けたあとは、シングルでも叩いていると思われる(ケイは69年ごろに、モータウンを含めて、ポップ系のセッションを一時的に中断したので、このころはプレイしていない)。たとえば、"Nathan Jones" "Floy Joy" "Touch"あたりはハルの匂いがプンプンしている。とくに"Floy Joy"は確実だ。
フォー・トップスの"Second Album"とテンプスの"With a Lot o' Soul"もLAのトラックが満載だが、ここではテンプスの"It's You That I Need"についてふれておく。教科書に最適といいたくなるヴァースでの端正なプレイだけでケイとわかるが、エンディング近くのクワイアット・パートでベースとヴォーカルとパーカッションだけが残る瞬間に耳を澄ませていただきたい。
低音部にいったときに、フラット・ピッキング特有のサウンドがはっきりと聞き分けられるだろう。ケイを批判する人々は、彼女がフラット・ピッカーだということをひとつの論拠にしている。モータウンのベースはフィンガリングである、したがって、フラット・ピッカーであるケイはプレイしていない、という論法だ。寝言をいってくれては困る。多少ともベースを弾いた経験があれば、モータウンのトラックにはフラット・ピッキングのベースがあふれているということぐらいわかる。わたしがケイを批判する側なら、フラット・ピッキングとフィンガリングの問題はぜったいに論点にしない。それをやったら、はじめから負けが決まってしまう。むしろ、初期のジェマーソンはフィンガリングだったが、やがてピックを使うようになったと強弁する道を選ぶ。これなら反論はむずかしいが、ピッキング・スタイルを確立したのが、ほかならぬキャロル・ケイだったために、この論法はとれずにいるのだろう。
ブレンダ・ハロウェイの"You've Made Me So Very Happy"は、なぜかデトロイトの音に合わせていないために、ナチュラルなLAのサウンドになっている点が興味深い。
アレンジャーはアーニー・フリーマン。もちろんLA在住で、あの"Launchy"をヒットさせたピアニストであり、フランク・シナトラやジュリー・ロンドンのアレンジで知られている(というと白人だと思うかもしれないが、黒人である)。ケイはモータウンの仕事などしなかったと主張する人たちも、この曲ばかりはジェマーソンのプレイと強弁するのは天地がひっくり返っても不可能である。また、アール・パーマーの伝記 "Backbeat: Earl Palmer's Story"に付されたディスコグラフィーにもこの曲がリストアップされている。パーマーはマーヴィン・ゲイの"Hello Broadway"(1964)というアルバムもあげているが、未聴なので、リストには入れなかった。
ミラクルズの"More Love"は、モータウンとアラン・スラトスキーが認めている数少ないLA録音の曲である。じつは、含み笑いと苦笑と爆笑がまじったような、わけのわからない気分でこれを書いている。「ぬけぬけとよくいうぜ、スラトスキーさんよ」である。
これだけ曲をあげておけば充分だと思うのだが、1曲だけ、心残りがある。マーサ&ザ・ヴァンデラーズの"Dancing in the Street"である。個人的には、リズム・トラックに関するかぎり、これはLA録音だと考えている。クリッキーな音のベースは、明らかにダンエレクトロ6弦ベース(ダノ)であり、したがって、いうまでもなくフラット・ピッキングのプレイである。キャロル・ケイは、この曲を録音した記憶はあるが、そのトラックがヴァンデラーズのヴァージョンとしてリリースされたという確信はもてない(ヘッドフォンでお聞きになればわかるが、いろいろなものがオーヴァーダブされている)から、自分のディスコグラフィーには入れていない、というので、わたしもやむをえずリストからはずした。
ちなみに、ケイはベース転向前からダノを弾いているが(彼女は、ダノは「ベース・ギター」であり、ベースではなく、ギターの一種なのだといっている)、この楽器はプレイヤーの特徴を消してしまう傾向があり、この曲のベースがケイかどうかは判断できない。ルネ・ホールやビル・ピットマンであっても不思議はない。LAでは、リッチー・ヴァレンズの"La Bamba"(ルネ・ホールがダノを、ケイはリズム・ギターを弾いた)以来、60年代なかばにかけて、ダノがしばしば使われているということもつけ加えておく。
参考2「Players for Motown LA Recording Sessions 1963-69」へ進む
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